わたしの音楽史

(小さい子どものころ)
 うちは、電気屋をやっているので、ステレオはあるし、いつも店に音楽が流れていた。うちの父親は、どんな音楽でもこだわりなく聞くタイプで、いろんな音楽が流れていた。自分が小さいころは、まだ高度成長期でうちの電気屋にも「店員さん」がいた。その人がよく流していたビートルズに合わせてウクレレでギターをひく真似をして、他の人をよく笑わせていたそうである。そういえば、アビーロードのCARRY THAT WEIGHTをそのあと友だちから聞かせてもらったときに、すごく懐かしく感じたのも小さいころに聞いていたからか。とにかく、いろんな音楽を聴く素地は作ってもらっていた。
 
 また、うちの家族で「ソウル トレイン」や「エンゲルベルト フンパーリング ショウ」などを見ていたこともよく覚えている。また、自分には姉が二人いて、その姉が聞いていた「ポップスベスト10」から「マミーブルー」「グッバイ イエロー ブリックロード」「マインドゲームス」を大好きになって、電話でリクエストしていた。また、ドライブの時には、そのころはやっていたソウルが入っていた曲が流れていた。そのころの曲として、「ハッスル」「ラヴィング ユー」やKC&サンシャインバンド、シルバー コンヴェンション、サンタナをよく覚えている。また、そのころもいつものようにお店には、ハープ アルパートなどのファンキーな曲が流れていた。
(初めて買ったレコード)
自分が中学校に入ったころ。うちの姉がキャアキャア言い出したバンドがあった。クイーンである。特に、ロジャー テイラーに対しての憧れが強かったようである。そこで、LPを買うことになった。自分が初めて聞いたのは、クイーンのファーストのテープである。曲想がころころ変わり、ドラマティックな構成。すぐに心を打った。そのときうちの姉はもう一つのレコードを買ってきた。「姉ちゃん、こんな人たちのファンになるのはやめとき!」と言ったのを覚えている。キッスのデストロイヤーである。だって、あのメイクだもの。でも、あのシンプルで覚えやすく、かっこいい曲は兄弟を虜にし、結局中学一年の終わりごろには、兄弟3人で九電記念体育館のキッスのコンサートに行っていた。
(どんどん吸収したころ)
それからは、どんどん吸収していった。フリーライブのALL RIGHT NOW,ジェフ ベックのTRUTHのSHAPES OF THINGS、そして、大好きなレッド ツェッペリンとので会い。いろんな曲をFMで聞いてテープに入れていた。でも、そのころ、まわりの友達は、アリスとかを聞いていて、大嫌いだったし、ちょっと音楽を聞く友達は、ビートルズやカーペンターズ、ビリー ジョエルを聞いていた。それも大嫌いだった。何か「これを聞いていなきゃだめなんだよ」という姿勢がとっても嫌だった。また、ちょっと悪っぽい友だちは、キャロルやクールスを聞いていた。それも大嫌いだった。まわりの人の趣味を受け付けなかったのかもしれない。
(プログレとの出会い)
運悪くスピッツの草野君が行った高校に落ちたということがわかった5日前にミュージックライフで絶賛していたクリムゾンのファーストを買った。鳥肌が立った。もしもこのときにクリムゾンのファーストを聞いていなかったら、その後自分が聞いた音楽もすごく代わっていたと思う。その後の膨大な値段の音楽LP・CD購入は、このクリムゾンのファーストのせいなのである。(1月14日)
 その後、イエスを聞き、デイヴィッド ボウイを聞き、それから、ジェネシスを聞いていった。ジェネシスのライブのWATCHER OF THE SKIESは、聴いたとたんに自分をフラワーマンにした。ちゃんとEL&Pも聞いたし、ピンクフロイドも一通り聞いた。大学受験のすぐあとにヴァンゲリスの「天国と地獄」とマイク オールドフィールドの「チューブラ ベルズ」を買った。
 また、クリムゾンにぞっこんだった自分は、TORIOのようなヴィオラが弾きたいとオーケストラに入った。でも、3ヶ月で嫌になってやめたけど。耳障りのいいクラシックは嫌いだった。その後、ストラヴィンスキーの春の祭典を聞いてクラシックに対する認識が一変するが。やめなきゃよかったな。まだやっていたらヴェルヴェット アンダーグランドだって、マグマだってお手の物だったかもしれない。
(キング再発)
そんなころ、キングのヨーロッパプログレの再発が始まった。最初に買ったのは、ラッテ エ ミエーレの受難劇。続いて、ニュートロルスのコンチェルトグロッソ、オザンナのミラノカリブロ9、パレポリ、アトールの夢魔などを購入した。何かとっても不思議な世界だった。それに引き続き、チェレステ、アルティエメスティエリ、ノヴァリス、タイフォンなどを聴いた。周りに同じような音楽の趣味を持つ友だちがいなかったので、もくもくと買いそろえていった。でも、イル バレット ディ ブロンゾを聞いたころ「もう行き過ぎてしまったな」と思い、買うのをやめた。
(ビートルズから)
ジョンレノンの死よりもジョンボーナムの死の方が悲しかった自分は、ビートルズに見向きもしなかったのだが、大学の3年をすぎて、ビートルズを聴くようになった。A DAY IN THE LIFE、TOMORROW NEVER KNOWSなどお気に入りの曲も増え、あっという間にLPを買い揃えた。
(就職して)
就職すると、お金が入るので一気に買うスピードも上がっていった。トッド ラングレン、ビーチ ボーイズ、ニール ヤング、ボブ ディラン、キンクス、フェアポート コンヴェンション、ヴァンダー グラフ ジェネレーター。そして、CDになってからは、今までLPで持っていた名盤をCDに買い換えたり、アル クーパーやアメリカンロックを聴いたりしていた。
(自分と同じ世代の音楽を聞こう)
ふと考えると、少しも新譜を買っていなかった。昔の音楽ばかり聞いていた。昔の音楽を否定し、新しいものを作り出そうとする音楽を聴いているはずなのに、すっかり耳が保守的になっていた。「新しいものには、いいものはない」と考えていたような感じもする。そして、少しは新しいものをとデペッシュ モードやキュアー、レイディオヘッド、REM、マニック ストリート プリーチャーズなどを聴き、夢中になっていった。
(ネットをはじめて)
ネットを始めると、自分の知らない音楽がいっぱいあることがわかってきた。すると、一気に購入のスピードも上がっていった。そして、99年のマグマ、00年のアシュラテンペル、01年のノイ!と一気に聴く幅も広がっていった。
 残念なことだが、昨年に今までずっと通っていたレコードやさんが事情があり閉店することになった。仕方ない閉店だったのだが、そこから得たものは数え切れないものがあり、とても悲しい思いをしている。
(2002年は・・)
2002年は、ベックのSEA CHANGEとフレーミングリップスのYOSHIMI BATTLES THE PINK ROBOTをよく聞きました。それと、ヘンリーカウとの出会いです。とにかくよく聞きました。あと、斎藤 和義「月の向う側」平井堅の「RING」もよかったです。平井堅のはヴィデオも素晴らしく見るたびに目がウルウル来たものです。(2003年3月23日)
(2003年は・・・)
2003年はアンダーワールドの年でした。とにかくよく聴きました。また、LED ZEPPELINのDVDとライブ、ニールヤングのGREENDALEツアーに感激しました。他には、ジェントルジャイアントを聞き返した年でもありました。この年のベストアルバムはSTARSAILORのSILENCE IS EASYでした。(2004年8月30日)